今日はちょっと長いです。家で過ごした日曜日に大半は書いてしまってました。
この時期はイルカが歌って大ヒットした「なごり雪」をラジオでも聞く機会が増える。ボクは古いヒット曲を自分なりに勝手分解する趣味(?)があるので軽くやってみる。実はこれを自分のHPにしようかと思ってたこともあったくらいです。これはお金もかからず、どこでもいつでも出来る趣味なんです。もしボクがどこぞでボケーっとしていたら頭の中で古いヒット曲を分解してるのかもしれません。そこで今回はなごり雪(作詞 伊勢正三)です。
汽車を待つ君の横で僕は時計を気にしてる 季節外れの雪が降ってる
東京で見る雪はこれが最後ねと 寂しそうに君がつぶやく
なごり雪も降るときを知り ふざけすぎた季節のあとで
今 春が来て君はきれいになった 去年よりずっときれいになった
動き始めた汽車の窓に顔をつけて 君は何かを言おうとしている
君のくちびるがさようならと動くことが 恐くて下を向いてた
時がたてば幼い君も 大人になると気付かないまま
今 春が来て君はきれいになった 去年よりずっときれいになった
君が去ったホームに残り 落ちてはとける雪を見ていた
今 春が来て君はきれいになった 去年よりずっときれいになった
さて、まず汽車という言葉が出てくる。これには蒸気機関車が引く列車と長距離列車の意味があるのだが、この汽車という言葉の響きは昭和30年代の雰囲気があり、蒸気機関車が引く長距離列車と思う。季節外れの雪が降ってるのは3月下旬だろう。次のフレーズ、「東京で見る雪は最後ねと」とある。この言い回しは雪の多いところに住んでいた人の言い回しだと思う。だとすればこの歌の駅はやはり上野駅だろうか。この歌には雪、ホームくらいしか情景を思わせるフレーズがない。そのせいか昔ボクはこの歌の雰囲気からしてもっと田舎、東京でも昔の高尾とか武蔵五日市みたいなイメージがあったが、そこで「東京で見る雪」と言い方はないかな。
そしてなごり雪という言葉が歌詞に出てくる。ボクはこの歌以外でこのなごり雪という言葉を聞いたことがない。文学的な表現であるこの言葉を作った時点で伊勢正三という人のセンスの勝利だなと思う。そして「ふざけすぎた季節」という表現が出てくる。これまた難解だが、この歌の主人公の数年間を一言にした言い回しであり、後悔をしていてもそれを口にしたくない様が出ている。またこの主人公はこの歌で何も口にしていない。「君のくちびるがさようならと~」の部分でも下見てるだけ、会話していない。
歌詞を理解するのに一番重要で大事なのはどんな関係だったかということ。この歌詞で難しく思ったのは「おさない君」という部分、どうも年齢とかがわかりにくい。そして「大人になると気付かないまま」と続く。この部分では二人の関係より付き合いの長さだけ読み取ってみる。自分だっておさない頃があるのだが。考えてみれば普通の付き合いなら駅のホームにまで送りには来ない。このあたりで親しさの表現がある。
男女で駅のホームにまで送りにゆく関係。それはいい関係であり、未練がある別れのシーン。ここがこの歌の情景を作っている。「去年よりずっときれいになった」といフレーズには想い見つめていた年月もあれば、「頑張れよ」の気持ちもあるかもしれない。「君が去ったホームに残り落ちてはとける雪を見ていた」のところはやはり後悔を感じる。主人公は何も言えないまま見送ってしまった。
さて、この歌では主人公と“君”の2人しか登場しないが、もしかすると仲間みんなで見送りに来たホームでのことで、例えば結婚してどこかに行ってしまう場面なのかもしれない。楽しそうな仲間の中で主人公だけ静かに見送ってるだけかもしれない。こっちの情景はボクが30歳くらいになってやっと思いついたこの歌の世界だ。幼なじみだった主人公の想いとは別にいつのまにか結婚してしまった話かもしれない、いや主人公の完全な片思いでほとんど挨拶くらいしか会話をしたことがないかもしれない。これでも無理はない。どんな理由で汽車に乗るかで雰囲気も変わる。実はかなり辛い理由で帰るのかもしれない。
どんな理由であれ、ホームに見送りに来てくれる人がいるくらいだから“素敵な人”なんでしょう。この歌は舞台が“ホームの上”であることが良かったんですよね。
歌の世界は聞き手が勝手に作ってしまうことがある。作詞した人が描いた情景、気持ちは直接聞かないとわかんないもんだ。伊勢正三氏に聞いてみたい“なごり雪”の世界です。いや、聞かずにこっちで想像して楽しませてもらいます。まだまだ別の解釈があるかも?
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